以前、死刑執行をする部屋の公開がありました。
その時に気づいたのですが、仏像が一体、壁にまつられていました。
その時に思いました。
この国は「死」というものに対処するために仏教を受け入れた面があることを。
そうでなければ神道でいいはずなのに、いまだに異国のものである仏教は息づいています。
私自身、日本の宗教は神仏習合が自然であり、それぞれの場面で各々が役割を担っていると思っています。
結果、明治の廃仏毀釈を経ても仏教は完全に排除されませんでした。
こんな時代だからこそ、仏教、とりわけ禅は力を発揮できるのではないか。
強くそのように思うと同時に、精進、そして行動を伴っていきたい限りです。
死刑執行という究極の場に、仏さまを安置する・・・。
この意味を私たちは重々肝に銘じなければいけません。