いわゆる経験者、というのは厄介なもので、無駄に我をはります。
俺はこうやってきた、こう知っている、という経験をフィルターにして自分の中に通すので素直に物事を見る目、とらえる心が疎かになってしまいます。
残念なことです。
時々、坐禅をする方にもそういう方がおります。
瞑想をやってきた、という方にもそんな方がいます。
残念なことです。
もったいないことです。
そして、坐ってきた意味が何にもないな、とも思います。
いろんなテクニックもあるでしょうが、そういう方に限ってテクニックそのものにとらわれてしまっています。
坐禅を経験すればするほどそうなってしまうようではしないほうがいいです。
坐っている後ろ姿が物語っていますよ。
経験は大切なことですし、経験は人間を成長させます。
が、経験に「とらわれて」いたら本来の自分が見えなくなり、驕り、道を踏み外します。
人間、いつでもやり直しはできます。
そこに「気づき」があるかどうか。
自分自身にも言い聞かせていきたいものです。