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青山俊董老師 講演 「出会いは人生の宝」



 出会いは人生の宝。まさにこの度の講演による青山老師との出会いは、私の人生の中において限りなく大きく、
大切な宝物となりました。龍源寺住職が最も尊敬しているお方だと挨拶の中で申しましたが、その通りのお方でありました。
ある尼僧さまがこのようにおっしゃいました。「四,五年前に会った時とはまた雰囲気が変わったように感じました。
まるで禅師さまみたいだった」。
いま、ここを大事にしながら生きられているからこそ、年齢を重ねてなお輝きを増しておられるのだなと感じました。
お話はたいへん素晴らしく、なおかつそこに在るという雰囲気だけでこちらに影響を与えてくれるようなお方でありました。
ここに講演の一部内容を御紹介させていただきます。

「あの方に出会えた」「あのことに出会えた」「あの教えに出会えた」と思うには自分自身に出会いを感じ取る
アンテナがなければ成立しません。悲しみ苦しみを経験することでアンテナは立ちますが、幸せすぎるとアンテナは立ちません。
蓮華は泥の中から咲きます。きれいな水では蓮華は育たない。人間も同じ。悲しみ苦しみという泥を肥料にかえ、
自らの人生に花を咲かせていかなくてはならない。よき出会い、よき教えという縁を加えて花を咲かせていかなくてはならない。
縁を感じ取るアンテナ次第で花を咲かせるという結果は変わっていきます。
余生なんていう言葉はない。人の一生は円相の如く。いつでも終着点であり、出発点である。
ごまかしようのない今、ここにいる自分は今までの人生の総決算の自分である。
過去・現在・未来の三世通貫。前後裁断。今日、ただ今をどう生きるか。時間の使い方は命の使い方である。
つまらないつまらないと過ごす時間は、つまらない命の使い方をしていることと同義である。
その人のいくところ、とどまるところが浄土になる。その逆もしかり。自分の心次第でその環境は浄土にも地獄にもなる。
幽霊の絵は、「うしろをひくおどろ髪は過去をひきずる象徴」「両手が前にあるのはまだこない未来を求める象徴」
「足がないのは、今・ここ、という現在を生きていない象徴」幽霊の絵のような自分になっていないでしょうか?
「投げられたところで起きる小法師(こぼし)かな」失敗が恥なのではなく、こだわって起き上がれないのが恥なのだ。
ただ転ばずにまっすぐに行くよりも、失敗を踏み台にし、より高く。そしてまわりに優しくなれるとなおよい。
さらに成功・失敗にこだわらなくなるとなおよい。
「勝って騒がれるより、負けて騒がれる力士になれ」勝ち負けを超えたところをにらむ人格の高さが大切である。
瀬戸物と瀬戸物がぶつかると割れてしまう。どちらかが柔らかければ大丈夫。私が瀬戸物と気づく柔らかい心をもつ。
「松影の暗きは月の光なり」月光が明るいほど暗さは増す。教えという光に照らされて自らの暗さに気付くことが大事。
凡夫の目は他人の非を見つけ、仏の目は自分の非を見つける。自分の目ではわからない。
仏の心の目ならわかる。「気づく」ということが大切。
闇から光へ。光に照らされて自らに気づき、軌道修正をしながら生きていく。懺悔しながら誓願を立て、いま・ここを生きていく。

皆さま、この青山老師との出会いという縁で、自らの中の泥から、自分なりの美しい花を咲かせていただきたいと思います。



青山俊董老師

星見天海老師 百回忌
 
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